ゴスペルは偽物!?

3回目1

最近は、一種の流行りでゴスペル歌唱がオプションで付いている会場が増えてきました。

ゴスペルで彩る式や披露宴は確かに荘厳で華やかです。

しかし、日本の式場で歌われるゴスペルはゴスペルではなく、ゴスペルもどきなのです。

そもそもゴスペルには福音・福音書と言う意味があり、元々は黒人霊歌の別名もある通り、奴隷としてアメリカに連れて来られた黒人達の救いを与えるためのものだったのです。

南部の白人文化から始まったホワイトゴスペルもありますが、こちらはそれほど馴染んでいませんし、現在では呼び名もコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックと呼ばれており、既にゴスペルとは呼べません。

と言う事は、ゴスペルと呼んでいいのは、黒人信者が歌うもののみということになります。

また、ゴスペルはカトリック系教会の伝統ではなく、プロテスタント宗派で歌われていたものです。

もちろん、昨今では若者信者獲得のためにカトリック系の教会でも歌われていますが、本来は違うということです。ゴスペルは、元々牧師が説教に値する言葉を先導に、歌でリピートし、神を祝福し、讃えるものです。

また、基本的にその説教の中身はプロテスタント解釈のものであることが正当なゴスペルです。

確かに現在では、ポピュラーソングをゴスペルの歌として定番化したり、大衆受けを狙っている感は否めませんし、様々なスタイルに分類もされています。

ですが、結婚式などの厳粛な場では、きちんとした伝統的で正当なゴスペルが展開されるべきなのです。

本来は祝福する歌ではない

アメリカでは、黒人信者が2歳、3歳で既に教会でゴスペルを歌う事を覚え、身に付けていきます。

それだけ彼等にとってゴスペルは生活の中で、信教の中で重要な位置を占めている証拠です。

そんな彼等の大切な文化をある意味、昨今の日本でのゴスペル流行りは汚していると言っても過言ではありません。

ゴスペルは、結婚する二人を祝福する歌ではありません。

結婚式で歌われる場合、信者同士が結婚し、その二人が神への感謝の意を込め、また褒め讃え、二人の永劫の信心を誓うと言うのが正解なのです。

もちろんユーザー側がゴスペルを求めることには殊更反対はしません。

ですが、式場側が商売の為にゴスペルを利用すると言うのが問題な訳です。

ましてや、現在多くの式場でゴスペルを披露している歌手は、正確にはプロではありませんし、洗礼を受けた信者のみが行っていると言う訳でもありません。

酷いところには信者でもない日本人の似非自称ゴスペル歌手が歌を披露するなんて酷いケースも見受けられます。

本物の教会で挙式をする場合でも、お二人に洗礼を受けてもらわないと式は挙げないというところも多い中で、彼等の宗教文化の中心を担うゴスペルだけは別と言うのは全くおかしい話なのです。

例えば、日本の神道での挙式で行われる祝詞奏上を、神道を信心していない外人が、自国で勝手に行っていたとしたらどうでしょう?

日本には宗教が浸透していないので、それに憤るまではいかないまでも、何の意味もないことをしているなとは感じるのではないでしょうか?

また、宮司でもない日本人がそれを海外で行っていたとしたら、詐欺行為じゃないかと感じるのではないでしょうか?

要は、現在の日本の式場でのゴスペル歌唱は、そういうことと同じ事なのです。

ましてや、ゴスペルと言えば「アメイジング・グレイス」だと思い込んでいる人が多いようですが、こちらは厳密に言えば、クリスチャンの神父が作詞した讃美歌なのです。

もちろん、ゴスペル自体も讃美歌が発展して生まれた伝統ですが、ゴスペル=アメイジング・グレイスではないのです。

なので、黒人以外の歌手、もしくは洗礼を受けていない歌手がアメイジング・グレイスを歌唱した場合、讃美歌を歌っているに過ぎず、それをもってゴスペル付、ゴスペルのオプションと掲げるのは大きな間違いなのです。

これは看板に偽りありと考えていい行為です。

つまり、売る会場も、歌唱する歌手も、これをゴスペルだと考えており、指摘する者がいないのであれば、会場は安易と言えますし、歌手には信者が皆無だと言えるのです。

ゴスペルはアメイジング・グレイスの成り立ちと同じ様に、黒人の人種差別問題と切っても切れない関係がある伝統です。

是非、ゴスペルを注文する皆様には、そういう差別され続けて救いを求めた彼等の思いや、また信心が無くても二人の運命を導いてくれたことに思いを馳せ聴いて頂ければと思います。

因みにアメイジング・グレイスは神の恩寵と言う意味です。

その意味も考えながら、ご両親や、先人達に感謝を寄せ、考えて頂ければ、より幸福な結婚生活をスタートできるのではないでしょうか。

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